宝物のはなし

 

圧倒的なオーラを放って最前線に立ってくれたその姿が好きだった。それでいてちょこんと座ってほわほわトークをするその空気が好きだった。ひとつひとつがキラキラして、可愛くて仕方がなくて、たった三人の男の子たちが私を簡単に掬い上げた。

 

発表からもう四ヶ月も経ったのか。仕事を終えた帰り道、坂道を下りながらぼんやりと思った。

私の職場は坂道の上にあって、行きは眠い目を半分閉じかけて、帰りは疲労を抱えて少し早足で、何度も何度も登り下りを繰り返している。坂道で毎日毎日、私は飽きもせず彼らの歌を聞いていた。

じわりじわりと湧いてくるようでやっぱりあまり湧いてこない実感を胸に、今日もただスマホを開いて大好きな子たちが笑っている姿を見ている。今日も自担は可愛い。

そもそもデビューなんてものに関わらず卒業だとか入学だとか入社だとか死別離別だとか、人生において事前に完璧に実感が沸いたことなんて一度も無いのでこういうものと言ったらこういうものなのかもしれないけれど。

 

さみしさも嬉しさも切なさもごちゃまぜの、よく分からない気持ちを抱えながらただ「デビューするね!」「昨日テレビ見たよ!」「あの子かっこいいよね」と思わぬ人からぽんぽん名前が出てきて言葉を投げかけられるのを、不思議な気持ちで聞いている日々だ。

 

もう既に驚くほどテレビで、雑誌で、華々しくその姿を見せている彼らがデビューするまであと一日。今頃多くのファンが、愛おしい愛おしい過去に想いを馳せているのだと思う。それは大好きな雑誌の言葉かもしれないし、一番好きだったコンサートかもしれない。もっと昔、幼さの残る野暮ったい黒髪で、あどけない瞳をキラキラでいっぱいにして、今よりもっと近くで呼吸をしていた彼らを思う人もいるだろう。

そこには一緒に生きてきた時間の長さの分だけ、思った深さの分だけ、溢れていく想いがある。個人間で比べるものではないと言うと新規の戯言になってしまうけれど、それでもまあ私の人生は今のところ私が主体なので新規の戯言だということを大前提にしながら私も私なりに想いを馳せている。

 

いわゆる遅咲きのジャニヲタだった。決して逃げているわけではないけれど、それでもやっぱり人って疲れている時や辛い時に何かにはまるのだと思う。就職して、夢だったはずの仕事に慣れず、毎日がどことなく覚束なくて、そんな時に友人の影響でキラキラ輝く彼らを見るようになった。全くオタクではないのに親が何故かよくJrのテレビ番組を見ていたので存在は昔から知っていたが、贅沢な学生を甘受していた頃の私は彼らに対して何も思っていなかった。けれど、大人になってから、何故かその笑顔が、スポットライトの反射が、ひどく染みた。

そうして生で見た時に急降下だった。目が離せないという現象を知った。本当にそこだけ光って見えた。溢れ出る危うさも、揺れる髪も、歌声も、全てが心の奥底をぎゅっと鷲掴んで震えた。それから狭い会場でも広い会場でも、前からでも上からでも彼を見てきたけれど、未だにあの、少し遠いホール、上から見上げて双眼鏡を構えたあの初めての角度を鮮明に覚えている。もうとっくにジャニーズを卒業した友達に驚かれた。先輩から「社会人になってからハマるのはやばいよ」と言われた。

そうして、私の心に、平野紫耀くんの場所ができた。それは私の覚束なかった心の根底を簡単に支えて、今までの私がどう生きていたのかさえ忘れさせた。仕事を始めてめまぐるしく過ぎていく時の中で、前半誌と後半誌が時の流れを知らせる、そんな日々が始まったのだ。

 

なんでもできるようで抜けていて、抜けているようでちゃんと考えている、そんな紫耀くんを好きになった。オタクなんてやっぱり面倒くさいもので、楽しいことばかりではもちろんなかった。心の根底に根付きすぎたからこそ、その一挙一動は簡単に私の心を揺さぶり、支えのはずの存在が私を疲れさせたことが何度もある。なんて勝手で面倒な女なんだ、と思いつつまあオタクなんてこんなもんだと思いたい。

こんな人類見たことないと思うほど綺麗な顔をした男の子は、疲れていると露骨に顔にでることを知った。スポットライトの光のはしごに選ばれて舞台の真ん中に立つことは、矢面に立つことでもあるのだと知った。正直ヒヤヒヤしたし、やるせなかった。重い言葉をさらりと吐くようで、次の瞬間にはもうその言葉を忘れているようで、でも軽口を叩いて嘘をついているわけではなくて。そんな掴めないところが魅力的で、でも苦しくて。自己評価が低いともストイックで素敵とも言える、そんな不思議な男の子だった。

その胸元に光るネックレスが好きだった。色んな想いを抱えながら、それでもライバルとして、家族として、傍らで支えてくれる廉くんが好きだった。弟として甘えるようで、実はそうして紫耀くんのことを甘やかしてくれているような、そんなひだまりをくれるかいちゃんが好きだった。不器用なようで確かな優しさを具現化したような廉くんと、熱いほどに魅惑的でそれでいて道端の花のようにあたたかな光を具現化したような海人くんが、紫耀くんの隣にいた。いつでも、隣にいた。

「俺はその声が大好きだよ!」

「俺らはいつも、隣にいるよ」

そんな三人を、当たり前のように私も愛した。まさに兄弟のように三人が並んで、笑っている姿が大好きだった。

 

大人になってからの方が、アイドルの輝きが染みる。あのくらいの年齢の子が輝くことが、“ひたむきに頑張る”という当たり前に見えることがどれだけ難しいか、それをもう知ってしまった大人こそ。ツイッターでそう言っている人がいて、私はまさにその通りだと思っている。

私は(彼らはよくわかんない歌詞だと言っていたけれど笑)愛は味方さの、「涙がしょっぱい内に頑張ろう」という歌詞に、何度も何度も救われている女だ。憂鬱な朝も、落ち込む夕方も、本当に合わさるために生まれたと夢見てしまうほどしっくりとくる三人のハーモニーを、充電切れギリギリの体に吸い込んでいた。味方でいてくれる彼らを思った。もちろん私のことなんて毛ほども興味なく、私がいてもいなくても彼らには何も支障がない。でもそういう問題ではなかった。彼らは確かに私の味方だった。辛い仕事も、頑張れた。「窮屈な街を抜け出し」というスペースジャーニーの歌詞に合わせて急いで退勤して向かった夏が、私を支えていた。

 

良い年してジャニーズに、それもjrにはまるなんて、人様から見たら引かれる事実かもしれない。でも、これは一見思われがちな「好き♡かっこいい♡」なんて夢見がちな楽しいものではなく、冗談抜きに人生を支えているもっと重くて面倒で拗らせている思いだ。

どうか光をあびつづけて、輝いていて、それを道しるべに私も私のつまらない人生を私なりに頑張れるから。そんな重苦しい(いやあ本当に気持ち悪い自覚はある)思い。

別に大病と戦っているわけでも、ドラマのような難題に心を引き裂かれて苦しんでいるわけでもない。けれどそんな世間から見たらつまらない、それでも私にとっては大きな日々の壁を苦しみを、掬い上げてくれた彼らは私のアイドルだ。

三人の夢に私は夢を見て、三人の光に私は光を見て、三人の笑顔に私は笑顔をもらった。

 

そうして、1/17。

これからの長い長い船出が決まって、その始まりを告げる日に私は終わった。自分のちっぽけさを知った。あったかもしれない未来を考えてしまう、生産性のない妄想が私を苦しめた。

おめでとう!と笑顔で言える人のその心を羨んで、しかし絶対に嫌だ!!と言えるほど潔くもなかった。ちょうど前日に、友達とケラケラ笑いながら「デビューだったらどうする?」「どうしよ〜明日退勤したら世界が変わってるかも」なんて呑気に話していたばかりだった。世界は一気に変わった。

いつもと何も変わらない坂道を、何故こんなにもバクバクとしているのか分からない心臓を抱えながら、震える声で友達に電話をした。職場近くのこの道で人と電話をするのは初めてだった。友達はすぐに出てくれた。

「もしもし」

坂道も相まって息を切らせた自分の声が、自分で思っているよりもずっと震えていて驚いた。意味のわからない涙が出て、どんなに辛くても泣いたことのなかったその坂道を私は泣きながら降りていた。しょっぱい内に頑張ろう、そう心に決めながらも泣かずに歩いた道を。頑張れなかった。何がそんなにも苦しいのか自分でも分からず、心より先にただ涙が出ていた。どうして。口から正直な言葉が出た。

 

ただ大好きだった。他のオタクと比べたら泣く資格なんてないほど短い、けれど私の辛い心をあまりにも支えすぎた彼らが、その気持ちが、嘘じゃないはずだと分かっているのにぼやけていくのが怖かった。三人の夢に一緒に夢を見ていたはずの私は、気が付けばひどく遠ざかっていた。いや元からアイドルとファンの間に近さも遠さもないし大きな壁があるのも人間相手なのも結局他人なのも分かっているけれど!それでも私は宇宙に投げ出された迷子だった。そう完全に悲観できればむしろ楽なのに、そんな自分がひどく勝手である自覚はきちんとあって、「分かっている」自分もいて、でもそれでも「どうして」が消えなくて、だからこそ苦しかった。

子どものように思った。肩を揺さぶりたくなった。やだやだ、どうして。

大好きで、大好きになりすぎて、「終わり」じゃないなんてこと分かっているのに終わったような気持ちになって、行かないでほしくて、終わらないでほしくて。

そんな私に追い打ちをかけたのは笑ってしまうけれど私が一番好きなあの子だった。

掴めない。ずっとそう思っていたけれど私はそれよりも全然彼のことを知らなかった。彼のことが大好きな私にとってそれは絶望だった。ストイックな真っ直ぐな彼の言葉が、それでいて疑問を生んでしまう言葉が、上手く受け止められなかった。正直一万字インタビューでデビュー十周年とかに語るべき内容を早々に話し過ぎだと思ったし、ファンの心の痒いところにきちんと届く言葉を投げかけてくれるprinceが羨ましくて仕方なくなったし、私自身そう思っているくせにそれでいてあまりにも物議を醸して叩かれてしまう事実も苦しかった。

 

それでも、私は私なりに、好きになってからずっと紫耀くんを見ていた。見ていたからこそ、ほっとしたように笑う紫耀くんの表情が分かった。

いつの間にか慣れた帝劇の道。しっくりと私を包み込む座席の感触と、大好きなロビーの匂い。ざわめきの話題の端々から彼らの名前が聞こえた。いつもと同じようで、違う空気。

幕が開いたら、泣いてしまうような気がした。けれどその前に驚いた。こんなにも違うんだ、と思わずにはいられないくらい、その瞳は輝いていた。正直発表されてから最初に観たバトンはそれより前に観ていた時より色々と意味が変わってやっぱり涙が出てしまったけれど、それでもああ、嬉しそう、そう思った。特に去年、同じこと場所で、不安になる程疲れた顔を滲ませて舞台に立ち続けてきた彼は、相変わらず少し疲れは見えるもののすっきりとした顔をして舞台に立っていた。

安心したように笑っていた紫耀くんが好きで、でも安心している事実も本当は少しだけ悲しくて、でもやっぱり、眩しくて。

 

迷子になった私だけれど、やっぱり彼の、彼らのボートに乗りたい。そう思った。

今も、まだ正直感傷を失ってはいない。だからこそこんな中身のないブログを今書いている。

 

それでも、十万を超える名義を集めながらたった数百人にデビューを発表し、たった数千人に大事なデビュー曲を披露した事実にまた無駄に一喜一憂していたら、いつのまにかシンデレラの階段を駆け上がるように、駅には大きな広告が、テレビにはたくさん彼の顔が、耳には優しくてキラキラとしたシンデレラガールのメロディが溢れるようになっていた。時は相変わらずあっという間に過ぎて、私は今日も坂道を上ったり下ったりしながら彼らを見ている。

私はこれから彼ら6人の夢に夢をみる。彼らに心を支えられながら、大好きな紫耀くんを、優しい廉くんを、太陽のかいちゃんを、そして、その隣に並んでくれる、愛される才能を持って生まれた岸くんを、可愛いようで男らしい愛に溢れた玄樹くんを、柔らかくこちらの気持ちを汲んでくれる神宮寺くんを、見つめていきたいと思っている。みんなぺろい。そう思っている。

 

それでも、思い出は消えない。

少年収、幕が開いた瞬間、久しぶりに三人で並ぶ彼らを見て、「笑って笑って」と歌ってくれながらも出てきそうになってしまった涙を必死に団扇で隠した。噴火するように愛しさが溢れてきて、ああ本当に私は彼らが、Mr.KINGが大好きなのだ!と思った。私の辛かった時間を支えてくれた彼らは、私の特別だ。ずっとずっと宝物。大好きだった、じゃない。大好きなのだ。これからも。成仏できないよこんなんじゃ、と思ったけれど、それと同時にその痛みごと抱えて、これからも歩いていこう、そう思った。この胸が痛む度に、私にとっての彼らは終わらない。それが大好きの証明ならば、これからたくさん幸せやだからこその焦燥やもどかしさや、そして楽しさを貰う心が、たまに痛みを覚えても、その懐かしい痛みを愛せる気がする。

悲しみよ、こんにちは。ザガンの小説の最後、ふと静かにくる悲しみの波を、もう帰らない存在をそっと抱きしめるように受け止めるセシルのように、何度でも私はこの気持ちをそうして迎え入れたい。

胸がぎゅっと痛む度に思いたい。

Mr.KINGよ、こんにちは。そう呟きたい。

 

荒波なんて既に感じている。長い船出だ。いつのまにか乗り込んだ予想外の始まりのように、自分がいつこの船を降りるかなんて分からない。面倒なおたくなので正直ワクワクよりドキドキの方が大きい。

頑張れ!トップに立って!そんなことを簡単に言えるほど強くないし、笑っていればそれだけで良いと思えるほど慈愛に満ちてもいない、ずるい女だ。それでも私は三人を愛してきた時間を忘れないのと同じように、これから六人と共に刻んだ時間を忘れないのだろう。

今よりもっと歳をとって、家庭やら仕事やら何やらがどんなに変わっても、ふとした時にあの日の焦燥だとか、電車に乗り込む気持ちだとか、開演を待つあの期待を孕んだ空気だとか、光を浴びて踊る紫耀くんを思い出すのだろう。それってなんだか学生時代をふと断片的に思い出すのにも似ている。青春みたいだ、なんて思ってしまう私は人様からしたら本当にしょうもない終わってるオタクなんだろうと思う。ガハハ。

 

「彼らが出会い、兄弟のようになれた奇跡、どうか忘れないでいてほしい。それは女の子たちの切なる願い」

そう語ってくれたあの雑誌の編集後記は、私の胸にも痛みと共にまだある。

これからも大きすぎるものを背負っていくだろう紫耀くんの胸にはお揃いのネックレスが輝き、耳にはお揃いのピアスが輝いている。そんな今の紫耀くんが、私は大好きだ。

 

紫耀くん、ねえ、紫耀くん。

私だけを見てほしい、選んでほしい、そんな思いを抱くほどひたむきに若くもなくて、それでもただ幸せでいて欲しい息子のように見守りたいと思うほど時間を重ねてもいない私にとって、紫耀くんって結局なんなのだろう。分からない。

いや本当に、そこを延々と考えてしまうその根暗さが自分のオタクとしての気持ち悪さを助長させているのは分かっているけれど。まあオタクって(少なくとも私にとっては)延々と考えたくなる生き物なので許してほしい。

ちっぽけな人生で、人から見たら本当にくだらないものでも、この出会いが私にとっては革命だった。人によってはなんの変哲も無い明日が、私にとっては大きな日なのだ。

 

私はこれからもMr.KINGの大ファンで、king&princeの大ファンで、輝く彼らの笑顔に、歌声に、ダンスに、言葉に支えられて生きていくしがない女だ。私は私の坂道を歩いていく。心の大部分に紫耀くんがいて、キンプリがいて、そして心の奥の大事な部屋に思い出がいる。彼らは私を簡単に苦しめるけれど、彼らはやっぱり私の味方だ。私は勝手なので、私も絶対彼らの味方、と言えるほど偉い女では無い。私が彼らの味方になれることなど本当はないのかもしれない。彼らの力になるには私はあまりにもちっぽけだった。悲しいけれどそれを痛感した冬だった。でも後悔ももうしたくない。勝手で結構。自意識過剰で結構。私は一番星を指差すように、これからも光溢れる彼らに真っ直ぐペンライトを注ぐ。勝手に幸せを貰ったり勝手に怒ったり勝手に悲しんだり勝手に萌えたりする。それでいい。

 

私がいつでもふと歩いてきた道を思い出すように、彼らも思い出してくれたら、嬉しい。たくさんの思いを踏みしめてその上に立つそんな彼らを、私は今日もアイドルと呼ぶ。

 

あっという間で、それでもこの四ヶ月さえ、大事な時間だった。夢見がちオタクなので、辛い思いをしたとしても、好きになればなるほど苦しいと分かっていても、私は時を戻してもまたMr.KINGのオタクになるだろうし、生まれ変わってもまた紫耀くんを見つけて自担にしたい。なので来世は同級生のじぐれんと仲良くしながらいわかい後輩を可愛がりながらきしひら先輩にドギマギしてえ〜!!とか言いながら、紫耀くんにはぜひ来世もアイドルになって欲しい(まじ勝手だな)

 

完璧な笑顔ではなくても、色んな気持ちを煮込んで、全てを込めておめでとうって、大事に大事に今なら言える。

king&princeの平野紫耀くん、デビューおめでとう。たくさんたくさん、ありがとう。